談話

下男奉公についての笑い話

沖縄本部瀬底島

本談話について

「下男奉公についての笑い話」は1969年8月22日録音されたもので、話者は同じく本部町字瀬底(ミンバーリ)の男性です。4分14秒。

上間真好 えー なま-ふどぅ んちゃ なー じにんくゎ-ぬ ‘あわり-ぬ くとぅー ふぁなしー-ん んー ‘あいびーしが
eː nama-ɸudu nʨa naː ʥiniŋkʷa-nu ʔawaɾi-nu kutuː ɸanaɕiː-ɴ ɴː ʔaibiːɕiga
「えー、今ほど、ほんとうにもう下男子の哀れなこと、話も、んー、ありますが、」
上間真好 ‘うぬー わらい-ばなしー-ん ‘ありーば また ひじょー-ぬ な でーじな えー ‘あわりばなし-ん ‘あいびん.
ʔunuː waɾai-banaɕiː-ɴ ʔaɾiːba mata hiʥoː-nu na deːʥina eː ʔawaɾibanaɕi-ɴ ʔaibiɴ.
「その笑い話もあれば、また、非情な、もう、大変な、えー、哀れ話もあります。」
上間真好 ちょーる ひちぐゎち-ぬ なー きゅーぬ ひちぐゎち-ぬ ‘あしーび やてーぎしぇん ふーじ いぇーびしが.
ʨoːɾu hiʨigʷaʨi-nu naː kjuːnu hiʨigʷaʨi-nu ʔaɕiːbi jateːgiɕeɴ ɸuːʥi jeːbiɕiga.
「ちょうど7月の、もう、旧暦の7月の遊びだったらしいようですが、」
上間真好 な ふぁんた-‘うり ‘あたーてぃ ひちひちゃー-ぐとぅ なー じにんくゎ ‘あしばさーぬ
na ɸanta-ʔuɾi ʔataːti hiʨihiʨaː-gutu naː ʥiniŋkʷa ʔaɕibasaːnu
「もう思いがけないウリーに当たってしまったものだから、もう、下男子(を)遊ばせないで、」
上間真好 なー ぴんまー-はら ‘いじーてぃ ‘いじ はんら ‘ういらちぇー-ぎしぇん ふーじ いぇーびんむんぬ,
naː pimmaː-haɾa ʔiʥiːti ʔiʥi haɴɾa ʔuiɾaʨeː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbimmunnu,
「もう昼間から出かけて行って、カズラ(を)植えさせたらしいようなのに、」
上間真好 ‘あんし なー ゆー ‘いっちん
ʔaɴɕi naː juː ʔitʨin
「それで、もう夜に入っても(暗くなっても)」
上間真好 なー いぇーんさー-ん しーばれーる ひちぐゎち-‘あしーび-ん しーばれーる りち そーしが なー ぬし-や けーさぬ.
naː jeːɴsaː-ɴ ɕiːbaɾeːɾu hiʨigʷaʨi-ʔaɕiːbi-ɴ ɕiːbaɾeːɾu ɾiʨi soːɕiga naː nuɕi-ja keːsanu.
「エイサー(盆の踊り)もしよう、7月遊びもしょうと言ってしているが、主は帰さず、」
上間真好 ひちゃーくとぅ なー ‘うぬ じにんくゎーた-が "りー くりー なー わちゃーく しーば ないる" りち
hiʨaːkutu naː ʔunu ʥiniŋkʷaːta-ga "ɾiː kuɾiː naː waʨaːku ɕiːba naiɾu" ɾiʨi
「そうすると、もう、その下男子たちが「どうだ、これはもういたずするしかない」と言って」
上間真好 はんら むる さかしま-‘うい ひち ひちぇー-ぎしぇん ふーじ いぇーびーしが.
haɴɾa muɾu sakaɕima-ʔui hiʨi hiʨeː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiːɕiga.
「カズラ(を)全部逆さまに植え(に)して、したらしいようですが、」
上間真好 えー なー‘あっちゃー ぬし-ぬ ‘いじ みち ひちゃくとぅ んちゃ なー さかしま -‘ういてぃねーぬ
eː naːʔatʨaː nuɕi-nu ʔiʥi miʨi hiʨakutu nʨa naː sakaɕima -ʔuitineːnu
「えー、翌日、主が行って見てみたところ、ほんとうに、もう、逆さまに植えてしまって」
上間真好 なー ‘うれー ゆーな-むん れーる はんなぎとーけー りち
naː ʔuɾeː juːna-muɴ ɾeːɾu hannagitoːkeː ɾiʨi
「もう、それは世の吉凶によるものだ、ほっておけと言って」
上間真好 ‘あんしまーまー ひちゃーくとぅ なー (かん んー) はんら れーくとぅ なー なー むいとーん-ばー いぇーびてんさい.
ʔaɴɕimaːmaː hiʨaːkutu naː (kaɴ ɴː) haɴɾa ɾeːkutu naː naː muitoːm-baː jeːbiteɴsai.
「あのまま(に)したところ、もう(かんー)カズラですから、もう、もう、生えているわけですね、」
上間真好 えー ‘うり-が また ‘うむー ‘いみくち ‘いっちよーさい.
eː ʔuɾi-ga mata ʔumuː ʔimikuʨi ʔitʨijoːsai.
「えー、それがまた、芋が大変入って(実って)ですね。」
上間真好 ‘うるひちゃーとぅ なー ‘うり-ん てぃーち-ぬ わらい-ばなしー いぇーびーしが.
ʔuɾuhiʨaːtu naː ʔuɾi-n tiːʨi-nu waɾai-banaɕiː jeːbiːɕiga.
「そうしたらもう、それも一つの笑い話ですが。」
上間真好 なー-てぃーち-や そーる なー じにんぐゎ ちゅー-ねー しからりーしや ‘あんとーじ-や なー
naː-tiːʨi-ja soːɾu naː ʥiniɴgʷa ʨuː-neː ɕikaɾaɾiːɕija ʔantoːʥi-ja naː
「もう一つ(の話し)は、ちょうど、もう、下男子(として)人に使われるのは、あの当時、もう」
上間真好 あー きみ-ん ねーぬ めー-ん ねーぬ ‘あたい (れー えー) いぇてん じらい いぇーびーとぅ
aː kimi-n neːnu meː-n neːnu ʔatai (ɾeː eː) jeten ʥiɾai jeːbiːtu
「あー、米もない、ご飯もない、ぐらいであった時代ですから、」
上間真好 なー そーぐゎち-ぬ ‘わーし なー ‘うり-る まちかんてー やてー-ぎしぇん ふーじ いぇーびーむんぬ.
naː soːgʷaʨi-nu ʔwaːɕi naː ʔuɾi-ɾu maʨikanteː jateː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiːmunnu.
「もう正月の豚肉、もう、それこそが待ち遠しいことだったらしいようですのに。」
上間真好 そーる そーぐゎち-ぬ じゅーゆっか-ぬ ひー なー きまーてぃ
soːɾu soːgʷaʨi-nu ʥuːjukka-nu hiː naː kimaːti
「ちょうど正月の14日の日、もう決まって」
上間真好 ‘うぬ ‘わーし-や な まはい-ねー ‘いんてぃ-くーしや な ななはき-なー めーにん-めーにん きまてぃー-ぎしぇん ふーじ いぇーびーしが,
ʔunu ʔwaːɕi-ja na mahai-neː ʔinti-kuːɕija na nanahaki-naː meːnim-meːniɴ kimatiː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiːɕiga,
「その豚肉は、もう、お椀に入れておくのは、もう7切れずつ、毎年毎年、決まっていたらしいようですが」
上間真好 ‘あん ちゅけー なー な めーにん なー ななはき れーびーとぅ ‘うり-が ‘うほーく ないん-ばー ‘あい-が すーらやー りち
ʔan ʨukeː naː na meːnin naː nanahaki ɾeːbiːtu ʔuɾi-ga ʔuhoːku naim-baː ʔai-ga suːɾajaː ɾiʨi
「あの、一回だけ、もう、毎年、もう、7切れですから、それが多くなる時もあるかなといって」
上間真好 ‘うぬ ふぁなしー さーがち なー ‘うぬ じにんぐゎ-たー ‘あちまとぅてぃ
ʔunu ɸanaɕiː saːgaʨi naː ʔunu ʥiniɴgʷa-taː ʔaʨimatuti
「その話(を)しながら、その下男子達が集まっていて」
上間真好 ‘ある きねー-ぬ れーびんろー んー ‘あちまとぅてぃ なー ふぁなしー すーちぇー-ぎしぇん ふーじ いぇーびむんぬ,
ʔaɾu kineː-nu ɾeːbiɴɾoː ɴː ʔaʨimatuti naː ɸanaɕiː suːʨeː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbimunnu,
「ある家庭のですよ、んー、集まっていて、もう話(を)していたらしいようだが、」
上間真好 ひじょーに くぬ こっけいな にーしぇー-が をぅたん んー をぅてー-ぎしぇん ふーじ いぇーびしが
hiʥoːni kunu kokkeina niːɕeː-ga wutaɴ ɴː wuteː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiɕiga
「非常にこの滑稽な青年がいた、んー、いたらしいようですが、」
上間真好 "とぅかゆっか-ぬ しし-や さらまてぃぬ みはき しらん ななはき-ん ‘あいが すーら" りち
"tukajukka-nu ɕiɕi-ja saɾamatinu mihaki ɕiɾan nanahaki-ɴ ʔaiga suːɾa" ɾiʨi
「「14日の肉は、定まっている3切れか知らないが、7切れもあるだろうか」といって」
上間真好 ‘うぬ わかしぇー-ぬ にしぇー-ぬ な とぅんぐゎ-ねーてぃ ‘うた ひちぇー-ぎしぇん ふーじ いぇーびーむんぬ
ʔunu wakaɕeː-nu niɕeː-nu na tuŋgʷa-neːti ʔuta hiʨeː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiːmunnu
「その若い青年が、もう台所で歌(を)したらしいようだのに。」
上間真好 ‘あんさーい まーぬ いぃきが-ぬし-や ‘うり きち
ʔaɴsaːi maːnu jikiga-nuɕi-ja ʔuɾi kiʨi
「そこで、ここの男の主は、それを聞いて」
上間真好 とー なー ‘うん-たー-が ‘ゆーぬ ‘うた きち みりば
toː naː ʔun-taː-ga ʔjuːnu ʔuta kiʨi miɾiba
「「なるほど、もうかれらが言う歌(を)聞いてみれば」
上間真好 めーにん なー んんちゃ ししー ‘うっさ-なー かまーち ならん-ぐとぅ
meːnin naː nnʨa ɕiɕiː ʔussa-naː kamaːʨi naɾaɴ-gutu
「毎年ずつなるほど、肉(を)そんなに食べさせてはいけないから、」
上間真好 なー くー-ぬ くー-ぬ-ばー-や ‘いひや なー ‘うほーく かましぇー" りち
naː kuː-nu kuː-nu-baː-ja ʔihija naː ʔuhoːku kamaɕeː" ɾiʨi
「もうきょう、きょうの場合は、少しは、もう、多く食べさせなさい」といって、」
上間真好 るー-ぬ くぬー (んにじ) ‘あん じにんくゎ ゆり しし-ん ‘うほーく なち かましみたん りちぬ かーちゃん りちぬ ふぁなし-ぬ ‘あいびん.
ɾuː-nu kunuː (nniʥi) ʔan ʥiniŋkʷa juɾi ɕiɕi-ɴ ʔuhoːku naʨi kamaɕimitaɴ ɾiʨinu kaːʨaɴ ɾiʨinu ɸanaɕi-nu ʔaibiɴ.
「自分のこの()、ある下男子(を)呼んで、肉も多くして食べさせたという、たべさせたという話があります。」
上間真好 なーてぃーち-や また ‘あぬ ‘うふ-むぎ りち ‘うれー-や しぐん-ぐゎち-ねー とぅらりーぬ ‘うふ-むぎ (いぃー) いぇーびーしが.
naːtiːʨi-ja mata ʔanu ʔuɸu-mugi ɾiʨi ʔuɾeː-ja ɕiguɴ-gʷaʨi-neː tuɾaɾiːnu ʔuɸu-mugi (jiː) jeːbiːɕiga.
「もう一つは、また、あの大麦といって、それは4.5月に収穫できる大麦(いー)ですが。」
上間真好 ‘うふ-むぎ-や ‘うし-ねー ‘いんてぃ ひち
ʔuɸu-mugi-ja ʔuɕi-neː ʔinti hiʨi
「大麦は、臼に入れて挽いて」
上間真好 そして あー なー ‘わーび-ぬ はー とぅりば な ぴら-めー-とぅか ひち かーりんばー いぇーびーとぅ
soɕite aː naː ʔwaːbi-nu haː tuɾiba na piɾa-meː-tuka hiʨi kaːɾimbaː jeːbiːtu
「そして、あー、もう、上の皮(を)とれば、もう、麦飯とか(に)して食べられるわけですから」
上間真好 (‘うり くみー) んー ‘うふ-むぎ しかちぇー-ぎしぇん ふーじ いぇーびーむんぬ
(ʔuɾi kumiː) ɴː ʔuɸu-mugi ɕikaʨeː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiːmunnu
「(それこめ)、んー、大麦(を)挽かせたらしいようですのに」
上間真好 なー ‘あんとーじ-や わからん たら しきくるばしば な ‘あとぅ はー むぎん りち やてー-ぎしぇん ふーじ いぇーびしが
naː ʔantoːʥi-ja wakaɾan taɾa ɕikikuɾubaɕiba na ʔatu haː mugiɴ ɾiʨi jateː-giɕeɴ ɸuːʥi jeːbiɕiga
「もう、あの当時は、分からず、ただ挽きつづけると、もうあと、皮がむけるといって、だったらしいようですが、」
上間真好 なー ゆるーゆなか-まりーん なー むぎー (しか) ‘うしねー しかさってぃ しちゃーとぅ
naː juɾuːjunaka-maɾiːn naː mugiː (ɕika) ʔuɕineː ɕikasatti ɕiʨaːtu
「もう夜夜中まで、もう、麦を(しか)臼に挽かされてしたところ」
上間真好 ‘うぬ いぃなぐ-わらーび-ぬ るく ‘あわーりぬ ‘ういに なー ならー ‘いじーてぃ ち,
ʔunu jinagu-waɾaːbi-nu ɾuku ʔawaːɾinu ʔuini naː naɾaː ʔiʥiːti ʨi,
「その女の子があまりの哀れさの上に、もう涙が出てきて」
上間真好 ‘うぬ ならー-ぬ しんれーしんれー ‘うしん-がてぃ ‘いっち ひち-ひっちゃーとぅ ‘うぬ しき-やっしく なてぃ ‘いじ たれーま
ʔunu naɾaː-nu ɕiɴɾeːɕiɴɾeː ʔuɕiɴ-gati ʔitʨi hiʨi-hitʨaːtu ʔunu ɕiki-jaɕɕiku nati ʔiʥi taɾeːma
「その涙が次第次第に臼へ入って、そしたら、その、挽きやすくなっていってすぐに」
上間真好 なー ‘うぬ ‘うふ-むぎん ちゅらく なてぃ ‘うん ぴら-めー-ん ひち かーりん-ぐとぅ なたーん りち ふぁなあし.
naː ʔunu ʔuɸu-mugin ʨuɾaku nati ʔum piɾa-meː-ɴ hiʨi kaːɾiɴ-gutu nataːɴ ɾiʨi ɸanaaɕi.
「もうその大麦も、きれいになって、その麦飯もして食べられるようになったといった話。」
上間真好 ‘うり-から えー なー ‘うぬ ‘うふ-むぎや みじ ‘いんてぃ しきーば へーく ‘うぬ
ʔuɾi-kaɾa eː naː ʔunu ʔuɸu-mugija miʥi ʔinti ɕikiːba heːku ʔunu
「それから、えー、もう、その大麦は水(を)入れて搗けば、早くその」
上間真好 かーりん-ぐとぅ ないさやー りち みじ ‘いんてぃ しきふぁじまたん るーぬ ふぁなしー.
kaːɾiɴ-gutu naisajaː ɾiʨi miʥi ʔinti ɕikiɸaʥimataɴ ɾuːnu ɸanaɕiː.
「食べられるようになるねといって、水(を)入れて搗き始めたという話。」
上間真好 なー むかしぬ なー もーき-かたーん ねーん, じにんくゎ-た ひち なー ‘えーきんちゅ ‘あんし しからりーしん ふんとー なー
naː mukaɕinu naː moːki-kataːn neːn, ʥiniŋkʷa-ta hiʨi naː ʔeːkinʨu ʔaɴɕi ɕikaɾaɾiːɕiɴ ɸuntoː naː
「もう昔の、もう、稼ぎ方もない、下男子達として、もう資産家にあのように使われるのも、本当にもう」
上間真好 ‘いる-‘いるぬ ‘あわり-ばなしー また ‘いる-‘いるぬ わらい-ばなしー ぬんくい ‘あい-や さびーしが
ʔiɾu-ʔiɾunu ʔawaɾi-banaɕiː mata ʔiɾu-ʔiɾunu waɾai-banaɕiː nuŋkui ʔai-ja sabiːɕiga
「色々の哀れ話、また、色々の笑い話も、なにもかもありはしますが、」
上間真好 なー ‘うり-や ‘うり-とぅ ひち なー むかし-ばなしー-とぅ ひちー, なー むかし-ばなしー-とぅ ひち な きくーぬ ‘うっさしぇー やてぃん しみ-や さん-がや また ‘うり きち
naː ʔuɾi-ja ʔuɾi-tu hiʨi naː mukaɕi-banaɕiː-tu hiʨiː, naː mukaɕi-banaɕiː-tu hiʨi na kikuːnu ʔussaɕeː jatiɴ ɕimi-ja saɴ-gaja mata ʔuɾi kiʨi
「もうそれは、それとして、もう、昔話として、もう、聞くだけでも、すみはしないかなと、またそれ(を)聞いて」
上間真好 なま-ぬ わらんちゃー-たー-が なー また てぃーち-ぬ しぇーしんてき-ぬ きょー‘いく なりーば
nama-nu waɾanʨaː-taː-ga naː mata tiːʨi-nu ɕeːɕinteki-nu kjoːʔiku naɾiːba
「今の子供たちが、もう、また一つの精神的な教育になれば」
上間真好 また ‘いー ふぁなし ‘あらんがや-り ‘うむとーん しれー いぇーびん.
mata ʔiː ɸanaɕi ʔaɾaŋgaja-ɾi ʔumutoːɴ ɕiɾeː jeːbiɴ.
「また、よい話ではないかなと思っている次第です。」